伊達政宗は何をした人?地元仙台で愛され続ける戦国武将!サンド伊達さんは末裔!?仙台民おすすめのロマンを感じるスポット6選

こんにちは、「くふうロコ仙台」編集部です。
仙台が誇る歴史上の人物といえば、”伊達政宗”!
仙台藩の初代藩主である伊達政宗公は、仙台の街を作り上げた郷里の英雄として、現在でも多くの仙台市民から親しまれています。
現在では青葉山公園となっている「仙台城跡」や、政宗公をはじめ伊達家三代の藩主を祀る「瑞鳳殿」など、市内には伊達政宗公にゆかりのあるスポットがいくつもあり、観光客からの人気も高いです。
仙台の歴史を語る上でなくてはならない存在の政宗公ですが、具体的にどのような業績を残したのか、実はあまり知らない仙台市民も多いのではないでしょうか?
(正直に言えば、仙台在住歴25年の私も、自信はありません…)
そこで今回は、伊達政宗公の生涯や功績、ゆかりのスポットなどを詳しく紹介していきます!
伊達政宗は、仙台を築いた偉大な戦国武将!
生い立ち
伊達政宗は永禄10年(1567年)8月3日、出羽国(現在の山形県と秋田県)の米沢城で誕生しました。
父は米沢城主の伊達輝宗(だててるむね)、母は山形城主の最上義守(もがみ よしもり)の娘である義姫です。
幼名は梵天丸(ぼんてんまる)と名付けられました。
梵天丸は5歳(※数え年)のときに天然痘にかかって右眼を失明しており、このことが後世に「独眼竜」と呼ばれる由来になったと言われています。
梵天丸は11歳で元服し、名を「藤次郎政宗」と改めます。
15歳で初陣して勝利を収めた政宗は、18歳という若さで家督を継ぎ、伊達家第17代目当主になりました。
摺上原(すりあげはら)の合戦
天正13年(1585年)、父の輝宗が畠山義継に誘拐されて殺されてしまいます。
激怒した政宗は二本松城を攻め、翌年の天正14年(1586年)に畠山氏を滅亡させました。
天正17年(1589年)には摺上原の合戦で、会津の蘆名義広と常陸国の佐竹義宣の連合軍を破り、現在の宮城県から福島県にまたがる大きな領土を獲得し、奥州の覇者となりました。
小田原攻め
天正18年(1590年)、政宗が24歳のとき、天下統一を目指す豊臣秀吉が関東で最大の勢力を持つ北条氏に宣戦布告します。
大河ドラマなどでもよく扱われる「小田原攻め」です。
秀吉から北条氏を攻めるように要請された政宗ですが、弟の伊達小次郎に家督を継がせたい母の義姫に毒を盛られるなど、伊達家内の騒動に対応するため、小田原への到着が遅れてしまいます。
死に装束で現れた政宗を見た秀吉は、斬首を免じたものの、会津などの領土の一部については没収されることに…。
関ヶ原の戦い
豊臣秀吉の死後、慶長5年(1600年)に起きた関ヶ原の戦いで、政宗は徳川家康が率いる東軍に味方して、米沢の上杉氏と戦いました。
この直前に家康から、勝ち取った領土は伊達家のものにしてよいという「百万石のお墨付き状」を送られましたが、和賀・稗貫一揆を支援したことなどを知った家康が激怒!
実際に手に入れることができた領地は、62万石に減らされてしまいました。
仙台開府
慶長6年(1601年)の正月、ついに仙台城の築城が始まります。
同年の4月に政宗は建築途中の仙台城に移り、仙台藩の初代藩主となりました。
本格的な仙台のまちづくりに着手した政宗は、塩釜神社の修築や大崎八幡宮の建設、北上川・貞山運河の整備に代表される大規模な治水工事などを実施し、仙台藩主として数々の施策を行いました。
その後、70歳(満68歳)で江戸で亡くなった伊達政宗の遺骨は、仙台市青葉区の正宗山瑞鳳寺に葬られています。
仙台の基盤を築いた、伊達政宗の功績とは?
伊達政宗公が残した功績の中でもとくに大きいのが、現在の仙台市へと続く発展の基盤を築き上げたことです。
【産業】治水工事・石巻港の建設→米の輸送で莫大な富!
上方の技師を招いて国宝の大崎八幡宮や瑞巌寺を建造したほか、大規模治水工事を行い、北上川の河口に石巻港を建設しました。
このとき水路として整備された北上川や貞山運河は、各地で収穫した米を大量に輸送するのに役立ち、石巻港から船で江戸に出荷されて、莫大な富を築いたと言われています。
現在の貞山運河 引用:仙台市公式サイト
石巻港といえば、現在は「世界一長い魚市場」がギネスに認定されている、世界最大規模の漁港として知られています。
当時から、石巻が海運の拠点として発展することを見越して大きな港を造ったのだとしたら、もの凄い先見の明です!
ちなみに、貞山運河の「貞山」という名称は、伊達政宗公の法名である「瑞巌寺殿貞山禅利大居士(ずいがんじでんていざんぜんりだいこじ)」から命名されたものなのだとか。
【外交】支倉常長を慶長遣欧使節としてローマ法王のもとへ派遣
支倉常長像 引用:サン・ファン館公式Instagram
政宗公は外交にも積極的で、慶長18年(1613年)には慶長遣欧使節として支倉常長をローマ法王、スペイン国王のもとへ派遣しています。
幕府がキリスト教の弾圧を強化したため欧州との貿易は実現しませんでしたが、常長が欧州から持ち帰った数々の資料は非常に歴史的価値が高く、2001年には「慶長遣欧使節関係資料」として国宝に指定されています。
このときに使われた船「サン・ファン・バウティスタ号」は、1993年に木造船で復元され、2022年に老朽化のため解体されるまで、石巻市渡波のサン・ファン館で一般公開されていました。
(現在は1/4サイズのFRP船が展示)
支倉常長といえば、社会科の教科書によっては名前が載っていたり載っていなかったりするので、全国的な知名度は低いかもしれません。
ですが、仙台市民の中には、学校の先生が配ったプリントで支倉常長のことを詳しく習った方も多いのではないでしょうか?
【名産】日本初の味噌工場!「仙台味噌」普及の立役者
政宗公はほかにも、仙台城下に敷地900坪の「御塩噌蔵」(おえんそぐら)という味噌蔵を造っています。これが日本で最初の味噌工場であり、仙台味噌の始まりであったと言われています。
自分で厨房に入るほど料理への関心が深かったといわれる政宗公ですが、私たちが普段食べている仙台味噌が普及したのも政宗公のおかげだったとは驚きですね!
【文化】七夕まつりも!?食文化やお祭りの発祥
引用:仙台七夕まつり協賛会
仙台市民になじみ深いものといえば、『仙台七夕祭り』も「子女(しじょ)の技芸が上達するように」と政宗公が七夕飾りを作って飾ることを奨励したのが起源と伝えられており、今にも残る仙台のインフラや食文化、祭事などの多くは政宗公の時代に築かれました。
後世で「独眼竜」と呼ばれた政宗公は”天下統一の野望に燃えた戦国武将”のイメージがありますが、残した功績の数々は枚挙にいとまがありません!
そんな政宗公だからこそ、仙台の発展の礎を作った英雄として、今でも仙台市民から広く愛されているのでしょう。
伊達政宗の子孫は仙台にいる?現在の仙台市への影響
伊達政宗の死後、仙台藩の伊達宗家は二男の忠宗が家督を継ぎ、豊臣秀吉に人質として差し出された長男の秀宗が宇和島伊達家の初代当主となりました。
両家ともに現代まで家系が引き継がれており、仙台伊達家の第34代目にあたる伊達泰宗さんが当主となっています。
伊達泰宗さんは政宗公が眠る瑞鳳殿の資料館長を務め、仙台藩の歴史を現代に伝える役割を担っています。
1987年に放映された大河ドラマ「独眼竜政宗」の制作にあたって監修を担当されたのも泰宗さんです。
2001年には伊達政宗公の御霊屋「瑞鳳殿」を創建当時の姿に復元するプロジェクトに尽力しました。
また、仙台藩志会総裁として「仙台・青葉まつり」など伝統行事の運営に携わり、時代絵巻巡行では政宗公役を何度も務めています。
2011年の東日本大震災では、被災した伊達家墓所の修復にも尽力されました。
また伊達家の一族の子孫として知られるサンドウィッチマンの伊達みきおさんは、伊達宗家の第9代目当主である伊達政宗の弟、宗行が分家してできた「大條(おおえだ)」氏の末裔です。
実は、仙台を築いた伊達政宗公は第17代目の当主で、それ以前にも同じ名前の伊達政宗がいたそうです。
伊達みきおさんは第9代目の伊達政宗の子孫ではありますが、私たちがよく知る第17代目の伊達政宗の直系の子孫ではない、ということになります。名前が同じだとややこしいですね…。
著名人では、2018年度のミス・ワールドの日本代表に選ばれた伊達佳内子さんも、亘理伊達家の直系の子孫であると言われています。
仙台市民が愛する、青葉山の「伊達政宗像」
photo by 仙台なすママ
青葉山の仙台城跡に立つ伊達政宗騎馬像は、仙台を象徴する観光スポットとなっており、地元民にも人気があります。
伊達政宗公の騎馬像の前に立つと、天気が良い日は仙台市内や太平洋を一望することができます。
在りし日の政宗公は、ここから城下を眺め、仙台をどのような街に発展させてゆくべきか思いを巡らせていたのかもしれません。
夜には石垣や伊達政宗公騎馬像がライトアップされ、仙台の美しい夜景が堪能できます。
仙台城跡以外にも、仙台駅3階の「牛たん通り」「すし通り」の奥に伊達政宗公騎馬像が展示されているほか、仙台市役所前には伊達政宗公騎馬像のレリーフが設置されています。
かつて仙台駅2階の中央広場にあった政宗公の騎馬像は現在、大崎市岩出山の有備館駅に移設されているそうです。
仙台市民には「伊達前」と呼ばれるおなじみの待ち合わせ場所だっただけに、政宗公の像がないのは少しさみしいですね。
ほかにも、市内中心部の青葉通や愛宕上杉通のガス灯に、伊達政宗公騎馬像のミニチュアが置かれています。
こちらは「隠れ政宗」と呼ばれており、複数箇所に設置されているので、ぜひ探してみてくださいね。
伊達政宗の兜と家紋に込められた精神
伊達政宗といえば、兜についている「三日月」の前立てがトレードマーク。
一説によると、政宗の父・輝宗が政宗の成長を願い、仏教の思想に基づいて三日月を使うようになったと言われています。
輝宗は、かぶとの飾りを月輪、軍旗を日輪とし、これらを組み合わせることで子どもの健やかな成長や武運長久を祈ったそうです。
この三日月の前立ては金と黒の2種類あり、政宗はその日の吉凶によってかぶとを変えるほど大切にしていました。
県内に現存するかぶとや、瑞鳳殿で発見されたかぶとにも三日月が施されており、このデザインが政宗の象徴であったことが分かります。
実は三日月だけでなく、伊達家が用いる家紋にも様々な意味が込められているそうです。
伊達家の家紋といえば、竹の囲いの中にスズメが2羽いる「竹に雀」が有名ですが、実は最初に使っていた家紋は別のものだったことをご存じでしょうか?
伊達家の最古の家紋である「三引両紋」は、初代・朝宗が源頼朝から拝領したもので、その後「竪三引両」としてデザインが改められました。
「竹に雀」の紋は、第14代目当主の稙宗が上杉家から受け取ったもので、晴宗の代以降、伊達家の定紋(家を代表する公式の紋)として使われています。
上杉家と伊達家の「竹に雀」の紋は構図が似ていますが、伊達家の紋は全体を覆うように笹の葉が配置されていることが特徴で、「仙台笹紋」と呼ばれています。
伊達政宗の時代には、「菊紋」や「桐紋」が豊臣秀吉から与えられ、家紋として使用されました。
また、政宗が細川家から願い出て採用した「九曜紋」や、政宗の代から使用された「雪薄紋」もあります。
さらに後の世代では、「牡丹紋」が第20代目の綱村の代に近衛家から拝領され、第21代目の吉村はこれをアレンジし「蟹牡丹(仙台牡丹)」としました。
伊達家の家紋は全部で8つありますが、これほどたくさんの家紋を持っているのは戦国武将の中でも珍しいようです。
瑞鳳殿や大崎八幡宮、青葉神社などの政宗公ゆかりの地では、建物や幟に伊達家の家紋が入っているのでぜひ探してみてくださいね。
仙台で巡ろう!伊達政宗のゆかりのスポット
『瑞鳳殿(ずいほうでん)』
仙台の名所「瑞鳳殿(ずいほうでん)」は、仙台藩祖・伊達政宗公の御霊(みたま)を祀るために建てられた霊廟です。
生前の政宗公が「自分が死んだときは経ヶ峯に埋葬してほしい」と家臣たちに遺言していたことから、政宗公が逝去した翌年の1637年に、二代藩主・伊達忠宗公によって造営されました。
敷地全体が伊達家の墓所となっており、「瑞鳳殿」のほかにも、二代藩主・伊達忠宗公を祀る「感仙殿」、三代藩主・伊達忠宗公を祀る「善応殿」があります。
本殿の手前にある資料館では発掘調査で見つかった貴重な伊達家ゆかりの品々が展示されていますので、伊達家の歴史に興味がある方はじっくりと観覧していくのがおすすめです。
近年はフィギュアスケーターの羽生結弦さんの衣装をモチーフにした七夕の吹き流しを展示したことから、ファンが『聖地』として訪れる人気スポットにもなっています。
▼瑞鳳殿の見どころ紹介レポートはこちら!
仙台名所【瑞鳳殿】の魅力・御朱印・周辺グルメを仙台市民が全網羅!「羽生結弦ファンの聖地」「マツコ絶賛の名店」修復完了
『仙台城跡』
photo by 仙台なすママ
「青葉城」とも呼ばれる仙台城は、400年以上前に伊達政宗公によって築城されました。
現在は、跡地一帯が青葉山公園として開放されています。
伊達政宗公騎馬像の正面からは、仙台市中心部から太平洋までを一望することができます。
仙台市民としては、21世紀になっても政宗公が仙台の発展を見守ってくれているようで胸アツです…!
公園内の青葉城本丸会館にある「青葉城資料展示館」では、仙台城や仙台の歴史を学ぶことができます。
中には青葉城フードコートなどのショップがあり、新銘菓「仙台すずめ饅頭」や食べ歩きにぴったりの「揚げすずめ」を購入できますよ。
山のふもとの仙台緑彩館前には政宗公の胸像が飾られているので、こちらもぜひチェックしてみてくださいね。
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VRで仙台城大広間が復活!【仙台城跡食べ歩きガイド】「新名物”揚げすずめ”食べてみた」「訳アリ大容量品も」
『青葉神社』
引用:青葉神社公式サイト
仙台市青葉区に位置する青葉神社では、仙台藩初代藩主である伊達政宗公を御祭神「武振彦命(たけふるひこのみこと)」として祀っています。
青葉神社は1874年に本殿や拝殿が完成しましたが、1876年に大火で焼失。
その後、1927年に再建され、現在は国指定の有形文化財に登録されました。
1985年に伊達政宗公没後350年を記念して「青葉まつり」が復活してからは、毎年5月に伊達政宗公の御霊を乗せた神輿の発輿式が行われます。
青葉神社では、家内安全、開運招福、良縁成就などを祈願することができます。
本殿には政宗公の正室である愛姫も合祀されているので、とくに家内安全や良縁成就のご利益がありそうですね!
『瑞巌寺』
松島町の瑞巌寺は、伊達政宗公が心血を注いで再興した禅寺として知られています。
本堂は政宗公が自ら地縄張りを行い、畿内から名工を招き、紀州熊野から特別な用材を取り寄せるなど、当時の最先端技術と良質な素材を駆使して完成させたそうです。
天皇や皇族を迎えるための「上々段の間」には格式高い装飾が施されており、皇室の繁栄を願う紅白椿図が描かれています。
「上々段の間」は政宗公の時代に使われることはありませんでしたが、1876年(明治9年)に行われた明治天皇の東北巡幸の際には瑞巌寺が行在所となり、実際に明治天皇が一晩お過ごしになられたそうです。
宮城県には「大崎八幡宮」や「鹽竈神社」、「愛宕神社」など政宗公が創建や修築に携わった寺社がいくつもあるので、政宗公ゆかりのパワースポットとして巡ってみるのも面白そうですね。
『みちのく伊達政宗歴史館』
歴史ファンや観光客に大人気の「みちのく伊達政宗歴史館」は、松島町に位置する東北の歴史を楽しめる施設です。
館内では、伊達政宗の生涯を再現した蝋人形や、東北の偉人たちに関する展示の閲覧、ドラマや映画でも使用される甲冑の着用体験や記念撮影ができます。
政宗公の黒漆五枚胴具足をまとえば、戦国武将の気分を味わうことができますよ。
併設された「伊達かふぇ」や「松島みやげ処いだてや」では、地元の特産品やオリジナルの家紋グッズなどが購入できます。
仙台駅から車で40分の場所にありますが、歴史好きの大人から子どもまで幅広い世代が楽しめる人気スポットです。
住所:宮城県宮城郡松島町松島字普賢堂13-13
アクセス:仙台市中心部から国道45号線を経由して車で約40分
電話番号:022-354-4131
営業時間:9:00~17:00(伊達かふぇ・竹雀庵は16:30まで)
入場料:一般(高校生以上)税込1,000円、小中学生 税込500円、未就学児 無料
みちのく伊達政宗歴史館 公式サイト
『宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)』
石巻市に位置する「宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)」は、慶長遣欧使節の歴史的航海をテーマにした、歴史と文化のミュージアムです。
館内では、「サン・ファン・バウティスタ号」の出帆シーンを音と映像で再現した展示や、支倉常長がローマ教皇に謁見した様子を描いた立体レリーフ、さらに17世紀の世界地図をもとにした万国地球儀などの展示や、関連するアート作品が楽しめます。
また、施設内には「サン・ファンショップ」があり、石巻の特産品やオリジナルグッズが販売されています。
館を囲む「石巻市サン・ファン・バウティスタパーク」は、歴史をテーマにした憩いの場です。
イタリア風の庭園をイメージした広場や子ども向けの遊具が設置されており、ピクニックや散策にもおすすめ。
屋外広場には、支倉常長らが乗船していた「サン・ファン・バウティスタ号」の4分の1スケールモデルが展示されており、船内の構造や航海の様子を詳しく知ることができます。
駐車場は310台分と十分なスペースを確保しており、ベビーカーや車椅子の利用にも対応しているので、子ども連れでも安心して利用できますよ。
住所:宮城県石巻市渡波字大森30-2
アクセス:三陸自動車道 石巻河南ICより牧山トンネル・国道398号線を経由して約25分
電話番号:0225-24-2210
営業時間:9:30~16:30(最終入館16:00)
定休日:火曜日(祝日の場合は開館)、年末年始(12/28~1/4)
入館料:一般 500円 / 高校生以下 無料 / 団体(20名以上)400円
宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館) 公式サイト
※この記事は2024年12月時点での情報を基に作成しています。
※施設・店舗情報は公式サイトおよびGoogleマップの情報を基に作成しています。
